「生殺与奪の権を人に握らすな」から学んだ、自分軸と“他者非介在の幸せ”の作り方

神秘的な森の中で、太陽の光が木々の間から差し込み、緑の苔に覆われた地面に柔らかい光を投げています。

はじめに

鬼滅の刃・冨岡義勇の

生殺与奪の権を他人に握らすな」という言葉を初めて聞いたとき、ハッとした。

自分の感情や判断の主導権を、いつの間にか他人に預けていたことに気づいたからだ。

そこから「生きるも死ぬも、楽しいも楽しくないも自分次第」という視点に切り替わり、

日々の選択を“内側の基準”へ戻す決心がついた。

同じ頃、マツコ・デラックスの

幸福とは他者を介在させずに喜びを得ること」という言葉にも出会い、

この2つのメッセージが1本の線でつながった。

それが今の僕にとっての“自分軸”の始まりだった。

なぜ心に刺さったのか

おそらく、自分がこれまで他人軸で生きてきたからだと思う。

人の評価を気にしたり、周りの空気を読んで決めたり。

いつの間にか“自分の基準”よりも“他人の目”を優先していた。

でもその結果、どれだけ頑張っても満足できず、

「もっと認められたい」「これでいいのかな」と揺れ続けていた。

だからこそ、冨岡義勇の「生殺与奪の権を人に握らすな」という言葉は、

自分の人生の主導権を取り戻すための合図に聞こえた。

他者に握らせていたハンドルを、自分の手に戻す。

そこからようやく、「何を選んでも納得できる自分」でいられるようになってきた。

マツコ・デラックスの幸福観と同じ核

マツコ・デラックスはこう語っている。

究極、幸福とは他者を介在させずに喜びを得ること。

SNSや世間の“分かりやすい指標”に頼る幸福は揺らぎやすい。

この考え方は、「それはそれとして、自分はこれ」という

侵入不可の核を持つことに等しい。

つまり、他人の評価や流行ではなく、

自分の体感や価値観を優先して生きるという宣言だ。

冨岡の言葉とマツコの幸福論は、まったく違う世界から出た言葉なのに、

根っこの部分では同じ“自分の軸を取り戻す”というメッセージを放っている。

自分軸を作るためにやったこと

とにかく自分に問いただすこと

これに尽きると思う。

そのために最近はChatGPTを使って壁打ちすることが多くなった。

頭の中で考えているだけでは整理できないことも、

言葉にして投げ返してもらうことで、ようやく「自分が何を感じてるのか」が見えてくる。

そしてもうひとつ意識しているのが、

「先に自分で評価する」習慣

前までは映画やアニメを見たあとに、すぐレビューや感想を見ていた。

でも最近は、「自分はこう捉えた」「このシーンが刺さった」と

まず自分の中で整理してから、他の人の意見を読むようにしている。

すると、「なるほど、そういう見方もあるんや」と素直に受け取れるし、

自分の感覚を上書きされずにすむ。

それと、**“非介在の好き”**を大切にしている。

僕の場合、それはアニメを見ること。

メジャーな作品もマイナーなものも問わず、

誰かに共有しなくても「ただ見るのが好き」なんやと思う。

誰かの反応を気にせずに、純粋に楽しめる時間が自分を整えてくれる。

優先順位を見える化しているわけではないけど、

「何を大事にするか」は確実に自分の中で決まっている。

それを軸に選んでいくことで、少しずつ他人の目線よりも

“自分の納得”を基準に生きられるようになってきた

他者と関わりながら“非介在”を保つ

他者との関係を断つ必要はない。

ただ、評価や比較を持ち込まない時間を持つだけで、

人とのつながりと自分の核を両立できる。

大切なのは、最終判断をどこで下ろすか。

「ありがとう、でも自分はこう思う」

この一言で、舵を自分の内側に戻すことができる。

まとめ

生殺与奪の権を人に握らすな」という言葉は、

人生の舵を外へ渡さないという覚悟の宣言

それはマツコ・デラックスの「他者非介在の幸せ」と同じ方向を指している。

主導権を自分に戻した時、

結果の大小よりも、毎日の納得感と静かな満足が確かに増え始めた。

それが今の僕にとっての、

生殺与奪の権を自分で握る」という生き方なんだと思う。

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