「気にしいで理屈っぽい自分」とどう付き合うか

最近ふと思うことがあります。

「自分ってだんだん理屈っぽい人間になってきてるんちゃうかな?」と。

もともと僕は“気にしい”な性格で、相手がどう思ってるかをすごく気にしてしまうタイプです。相手の表情やちょっとした言葉で、「今の自分の言動、まずかったかな?」と考えすぎてしまう。

過去の経験と学び

実は以前も同じようなことで悩んだことがありました。

そのときに学んだのは、

  • 人はそう簡単に変わらない
  • 他人を信用しすぎない
  • 自分の考え方を変えてみる

ということ。でも、日々の忙しさや感情に押されて、その学びをすっかり忘れてしまっていました。

人間って、頭では分かっていても、感情に流されると忘れてしまうものなんですよね。

だから「また思い出せた」だけでも、自分なりの成長なんやと思います。

理屈っぽさ・気にしいの自覚

最近は特に、自分が感情より理屈で整理しようとすることに気づきます。

「こう考えればストレスが減る」「相手に変化を求めず、自分の捉え方を変える」──そんな風に頭で処理してしまう。

一見、理屈っぽく見えるかもしれません。でも、これは自分を客観視できている証拠やと思います。

さらに、「偉そうに見えてないか?」と自分でチェックできるなら、謙虚さもある。

気にしいな自分も、相手の気持ちを大事にできる繊細さの表れです。

つまり、気にしいで理屈っぽい自分も、それ自体がひとつの強みなんやなと思います。

ストレスの正体は「価値観の違い」

振り返ると、僕のしんどさの根本は“ストレスの積み重ね”であり、その多くは価値観の違いから生まれるものでした。

相手に「こうしてほしい」と望んでも、人は簡単に変わりません。

だから大事なのは、相手を変えようとするんじゃなくて、自分の考え方を調整すること。

それは「相手に合わせる」という意味じゃなく、自分にストレスがかからない思考の工夫をすることです。

まとめ

気にしいで理屈っぽいのは、性格の一部で悪いことじゃない 過去の学びを忘れても、また思い出せば成長になる ストレスの正体は「価値観の違い」 他人を変えようとするより、自分の考え方を調整する 気にしいでも、理屈っぽくても、それは強み

これからも「気にしいで理屈っぽい自分」と一緒に歩きながら、ストレスを減らす工夫を続けていこうと思います。

タイトルとURLをコピーしました